トップページ > 院長の紹介

Interview with Masayoshi Wakasa

院長の若佐政儀の紹介にあたり、少々長くなりますがインタビュー記事をご用意いたしました。
若佐の来歴や背景、技術と強み、「治る」ことに対する考え方などについて話をいたしておりますので、ご一読いただければ幸いです。
Q カイロプラクターになったきっかけについて教えてください。

うーん、簡潔には説明しづらいですけど、小さい頃からきっかけめいたものは色々あったように思います。

僕は小さい頃、とっても病弱だったんですよ。今は誰も信じてくれないんですけど(笑)。
(後に原因は貧血だと分かるんですが)小3の頃突然身長が伸びなくなりました。夏休みは外で遊び回るのではなくて、貧血による脱水でぐったりしていつも家でへばっていましたね。爪が変に波打って伸びたり、いつも口内炎に悩まされていたくらいです。

小学校4年生のある時、地元の診療所のお医者さんから、君は扁桃線がよく腫れるから切って腫れないようにしようと言われたんですが、いつも理由を探す子でしたから、それに対して反論したんです。お姉ちゃんが盲腸を切ったけど、小学校の図書室で読んだ生物の本によると、進化の過程でヒトの体は必要のないものは、上手く退化していく仕組みであると書いてあった。盲腸も今ヒトの体にあるということは、何か意味があるはずだ。だから扁桃線もそれは同じで、何か役割があるはずではないですか?・・・という具合に。

母からは手術がイヤだからといって、何あんたは理屈をこねているんだ! と、後から頭をはたかれました。その時、熱が39度もあったのに(笑)。が、先生からは、君、そこまで言うんだったら、医者になってそれを証明できるんだろうな? とジロリと睨まれまして。医者になってそれを証明してみろと。

とても困りましたが、結局は先生も、この子のいうことも一理あるから、その考えを尊重してやろうという風に言ってくださって、手術することはなくなったんです。元軍医で声の大きなとても怖い先生だったんですが、どうやらその一件で気に入られまして。君はいろいろ考えがあるようだから、こういう医学の道はどうなんだということも言われつつ、何となくこういう道に進むかもしれないな、という気持ちも感じてはいました。ただ、僕は機械が好きだったので、エンジニアの方向に進みたかったんですよ。

一方で、その母はずっと股関節が悪かったんです。わりに大きな農家の家だったので、そういう脚の悪い嫁ということで、母自身、肩身の狭い思いをしていたようです。子供心に、なんとかならないものかなあ・・・とはずっと思っていました。

そうして22歳の時、当時の仕事の関係でのご縁で、良い評判の柔道整復師の先生に出会いまして、この先生だったら良いかもしれないということで、母親を連れて通っていました。
大正7年生まれの結構なおじいちゃん先生で、アシスタントの方もこれまた結構なお年寄りでした。「わしの技術も一代限りで終わりかのう」という話が出た折に、母親が「うちの息子は器用ですよ・・・」という余計なひとことを言ったそうで(笑)。

その先生も、母につきそっていた時の僕の治療に対する、これはこうですかああですか? という質問の仕方が的確で気に入っていたようで、先生もその母の申し出みたいなことに、乗り気になってしまわれました。
興味が全くない世界ではなかったですが、突然そんなこと言われても僕にも仕事がありますし、母が余計なことを言ったみたいで・・・と断りの挨拶に行ったんですが、「おう、いつから来る?」と先生に明るく嬉しそうに言われまして(笑)、こんどうちに勉強しに来る若佐くんだ、と先生の奥さんに紹介されたりなんかして。なんだか僕もきっぱり断るに断れなかったんです。幸いにもある程度、仕事の自由もきく立場だったので、兼業という形で、週5回、9時から4時まで行ってお手伝いをしていました。

そうこうしていると、初めてお会いする数年前に先生は晩年心臓病で倒れていたそうなのですが、一年も経とうかとしていた頃、暑さが厳しくなり始めた7月中旬、突然、亡くなられてしまいまして。残された患者さんたちも困って、そういえばあそこには若い弟子がいるなということで、頼りにされちゃうことになってしまいました。引くに引けない状況ですね。法律的には「柔道整復師です」とは仕事が出来ない。そこからは、やってた事業も辞めて、臨床に関わることを専業で始めることに決めました。そこがスタートですね。

今思えば、治療の形しか解らない、なんとも無謀な状況でした。ただ、開業にあたっては公的な資格が必要だったので、そこで大阪の学校に通いはじめました。一週間のうち3日は学校へ行って、4日間は資金稼ぎのために別のところで働くという日々です。その間、今までの患者さんの家に往診に行っていました。お金もなかったので、学校の校内に寝泊まりしてたり、こっそり貨物列車に乗っけてもらっていました(笑)。どうやってお金を倹約しようということだけで、いけない細工ではありましたが。

そうやって2年間大阪に通って資格をいただいて、はれて正式に開業です。23歳の時ですね。開業とはいえ、自分の診療所をかまえるには当時で2,000万円ほど資金が必要だったので、とてもそんなお金は銀行も貸してくれない。なので、そこから29歳くらいまでは、往診での治療と、週二回の病院勤務で治療をおこなっていました。

Q 柔道整復師からカイロプラクターになった経緯はなんですか?

私の先生の公的資格であった療術師の協会の人から誘われて、広島のカイロプラクティックの先生から講習を受ける機会があったんですよ。それが最初のきっかけですかね。

それまでの柔道整復師の世界では、関節のはめ方とか、ねんざした時の対応とか、こういう症状の人にはこういうことをやったらいいんですよ、という方法を教えられていたんですが、その先生のアプローチはちょっと違った。人間の身体のメカニズムはこうなっているから、これが正常でこの状態が異常、この障害を取り除いてやれば、ご本人の身体の力によって正常に戻るんですよ、ということを論理的に説明してくれた。それは今までなかった初めての経験でしたね。その先生に、カイロプラクティックの論理、ちゃんと道筋の見える治療というものを初めて教わった。それは僕の勉強が足りなかっただけかも知れないけど、今まで教わった柔道整復の世界には無かった経験です。

そしてその当時、平成2年に柔道整復師に関する法律が変わって、1年間・600時間の追加講習が必要になったんですよ。それだけの期間、これから学校に通って履修しなければいけない。で、それを履修しなければどうなるかというと、保険診療が出来なくなるんです。
実は常々、浅薄な考えかも知れませんが、柔道整復における保険診療というシステムの成り立ちには疑問を持っていました。それは本当に患者さんに治ってもらうための治療ではなく、医療に依存させるための治療ということになっていると感じた。整復師に関わらなくても健康が維持できる状態になってもらうためのシステムには決してなっていないという実情があった。

僕は東洋医学からのスタートですが、「ヒポクラテスの誓い」というのは知っています。「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、患者が望んでも有害と知る方法を決してとらない」という一文があります。その考えからすると、はなはだ疑問に思うことも多かったわけです。

なので資格や法律は、そもそも二の次の話であり、患者さんを健康な生活に送り出してあげることが一番なわけです。そのためには柔道整復であろうが、カイロプラクティックであろうが何をやっても良いんだ、という考えのもとに、カイロプラクティックの世界に可能性を見出しました。

Q カイロプラクティックの技術は主にどこで身につけましたか?

一応、アメリカへの留学経験もあるんですよ。27歳くらいの時に、セミナーでカイロプラクティックの講義をしていただいた広島の吉原先生という方に、本気でカイロプラクティックを勉強しようと思ったらどうすればいいですか? と相談しました。すると、留学して本場のアメリカで勉強してください。という答えが返ってきました。

英語は苦手な方ではなかったし、カナダに母の友人の弟さんがいたんですよ。それもカナダに帰化して鍼灸師をやっている日本人の方が。そこで語学の勉強をさせてもらい、その後シカゴにあるカイロプラクティックの大学に通っていました。ですが、結局、ここで高い技術を習得できたかというと、どうもそうでもなかったです。一時帰国後、より都会であるロサンゼルスの大学にも行ってみましたが、そこも期待していたほどには、密度が濃くなかった。カイロプラクティックはアメリカ発祥なんですけどね。

そういうわけで、アメリカは期待外れに終わっちゃったんですが、高卒の子と一応専門学校を出た自分が一緒に机を並べることがどういう事なのか、考えれば分かることなんですが判断を誤りました。主にどこで身につけましたかと聞かれれば、その後、同業者でひらいた研究会がいちばん勉強になりましたね。JCC(ジャパン・カイロプラクティック・カレッジ)大阪校より、そこから4人ほどの先生を交代で招いて、定期的に福山に来ていただきました。そこで岡山・広島のカイロプラクター15人ほどが講習を受けるわけです。

実践的でもあるし、そこで治療に関する疑問を先生にぶつけると、全部答えが返ってくる。そこで治療に対する基礎概念が出来たと実感できましたね。31歳の時です。その時が、前の天神町で開業をスタートする前のことです。

Q 先生のカイロプラクターとしての強みはどこにあると考えていますか?

逆説的な言い方にはなりますが、カイロプラクティックにはこだわっていないカイロプラクターということでしょうか。つまり、患者さんが治るのであれば、方法は何でも良いということです。
少しでも早く、少しでも安い金額で、患者さんに自分が必要とされなくなる状態にするには、どうすれば良いんだろう、というのが根本的に考えていることです。技術は単なる道具です。

当然、投薬と外科処置は法律で出来ないわけですが、それ以外のことであれば、出来うることであれば何でもやって、何でも勉強して、使える知識があれば何でも使うというのがスタンスです。自分の理想とする骨格や体のバランスになってもらうためであれば、何であれ構わないという風に思っています。もちろん、それでは何をやっているのか来られる方が分からないので「カイロプラクティック治療院」ということで、看板を掲げてはいますけどね。

アメリカにはオステオパシーという国家資格があるんですが、僕の考えていることはこちらの方に近いのかもしれないですね。医師資格を持った上で、投薬や食養生だけでは治らない症状を、骨格や筋肉のバランスを高めて、リンパの流れをよくして免疫力を高め、内科的な疾患も治していきましょうという治療アプローチです。

きっかけは母の障害であり、弱かった子どもの時の自分です。自分自身が受けたい臨床家を理想として、それに自分が近づく。自分が受けたい治療院に自分がなる、それだけなんですよね。

Q 治療の方針については、どのような考えですか?

まず根本にあるのは、3つの要素を常に考えています。身体の構造的なもの/栄養学的なもの/精神的ストレス。この3つで体の健康は維持されていますから。たとえば、いくら体の構造に問題はなくても、体が萎えていくような薬をばんばん飲んでいたら維持しようがないし、精神的ストレスが強すぎるとタンパク質の合成に必要なビタミンB・Cを多く消費していまい、体の新陳代謝がうまくいかない。

だから、治療そのものよりも、お話させていただくことの方が長い方もいらっしゃいます。カイロプラクティックの施術が目的ではなくて、健康の維持・回復・向上が目的ですから。とはいえ、患者さんの自覚症状を改善することは、ちゃんと達成しなければいけないと思っていますけどね。

そこで、身体の構造的なものが原因であれば僕が治療すればいいですが、お話をお聞きする中で、栄養に問題があるのではないかという場合には、提携しているクリニックでの血液検査をおすすめしています。分子整合栄養学を基にした血液検査です。欠損した栄養分があることが、体の不調の原因になるので、不足した栄養素を食生活の改善とサプリメントなどで補い、健康を回復していくという考え方です。もちろん病気と栄養の関係は、皆さんも様々な例をご存じかと思うのですが、それらをより高度に押し進めたものです。

また、構造的なものの治療とはいっても、摩耗した部分を回復させることは出来ません。一番は歯ですね。これについても、咬合調整(歯のかみ合わせ)による全身症状への取り組みということで、専門の歯科クリニックさんにご協力をいただいています。

要は、患者さんの健康維持・向上のための総合的なプロデューサー役というのをやっています。もちろん、どこそこが痛いという症状に対する治療もおこなっているんですが、カイロプラクティックのいいところは、お互いに耳と口は空いているので、1時間前後、その間でコミュニケーションがとれるんですよね(笑)。そこで、僕の考えるあなたにとって必要なことは何かというのは、お伝えすることができる。

僕らの扱っているのはいわゆる「未病」と呼ばれるようなものが多いですが、はっきりしない不調の原因や、情報不足で逡巡している人はたくさんいらっしゃいますから、情報を取りにくるだけでもいいですよ、というのはありますね。レントゲンを撮ったけど異常はないですよ、とお医者さんに言われた人には、少しは何か役に立つと思うんですよ(笑)。

Q 血液検査と咬合調整について、詳しく聞かせてください。

血液検査は現在、GDMクリニックという医院と提携しています。内視鏡検査がご専門のクリニックで、分子整合栄養療学の血液の詳細な検査と、検査結果に対する診断を得ることができます。それとは別に、その検査データをデータバンクとして保持してくれるところもあります。というのが、血液検査の結果というのは、あくまでもその時の瞬間値であって、その人の状態を正しく表してくれているかというのは、また別個の話になるんですよ。

ただ、同じ所で同じ条件で検査することによって傾向が出る。その傾向が把握できていると、大きく変化した時は、体の中で何かがおこったということが明白に分かるんですね。だから1年に1回、ちゃんとした血液検査をおこなって、傾向を把握していると、人間ドックに入るより正確ですよ。

ちなみに僕も41歳の時に血液検査をしたら、貧血ということが分かって、これはピロリ菌が原因ですねということで、菌の除去をやりました。1回では菌が取り切れなかったので、45歳の時にもう一度やって、そうしたらフェリチンという潜在的貧血を示す数値が、不足した状態からぼんと上がりましたから。

咬合調整については、最近の実例で言うと、ある女性が体の冷え、腰と首の痛みなどがあると。貧血であると言われているし、甲状腺機能がやや低下していると医者に言われているということでした。

その根本的な原因なんですが、下顎が少し奥にある方で、体型も細い方にも関わらず下顎に少したるみがある。そうすると、顎や舌の動きが正しくないので、その下部に位置する甲状腺のホルモン分泌機能に影響が発生してしまう。こうなると、いくら貧血を改善するための食事をおこなっても、無駄に終わってしまいます。

そこで、症状をやわらげる治療はできるんですが、根本的な原因は歯のかみ合わせにあるという事をご説明しました。咬合調整は決して安い費用でできるものではないし、時間もかかるものなんですが、そこはその場で歯医者さんに電話して相談もしつつ、丁寧にご説明させていただきました。

その場合の愁訴、痛い部分についてはカイロプラクティックでその場で症状がなくなっても、でもこれは一時的な対応で、根本的な治療は、咬合調整になります。もし今度、痛い症状が出たときには、わりばしを奥歯で噛んでみてください。治ったらやはり原因は歯のかみ合わせということになります、というお話をいたしました。

Q 今後の展望などをお聞かせください。

繰り返しになりますが、自分が病弱だった時代のことを忘れずに、自分が行きたいと思えるような治療院を目指す。そして、患者さんが健康になるために、自分が出来ることはすべてやるということに尽きると思います。

そして現在は、トレーニングマシンの開発や、トレーニングジムの開設などを企画しています。いくら治療を行っても、体の使い方が変わらないと元に戻ってしまいますから。正しい骨格になって、よりよい体の使い方を覚えてほしいんです。ただ治療を行うだけではなく、そういった運動療法もあわせて取り入れることを視野に入れています。

もちろん、病院での外科治療が必要な患者さんもいらっしゃいますが、お医者さんに、こういう症状ですと判定されないような体の不調に悩まれている方は、一度ご相談いただければと思います。広く総合的に患者さんを「見立てる」ことは、お役に立てるんじゃないかと思っています。